⑨ドクターカーのお医者さん
当たり前に覚えてはいないけど、わたしはドクターカーで病院まで運ばれた。
今まで何度か救急車には乗ったことはあったけどドクターカーは初めてでした。
ドクターカーは救急車と違ってお医者さんが現場まで乗ってきてくれる車です。
お医者さんがヘリコプターに乗ってくるドクターヘリのドラマは有名です。
それの車バージョン。
ドクターカーが到着したとき、わたしは血まみれでぐちゃぐちゃでした。
助かる見込みなんて全くなかったり
あまりに酷い状態だったため、ドクターのリスクが高すぎて、言い方は悪いけど普通は見捨てるらしい。
運んで死んでしまったら、そのドクターが運んだ患者を死なせたという歴もついてしまうらしい。
でも、わたしのもとへ来てくれたドクターは見捨てないでくれた。
マンションの下、落ちた場所で簡単な手術をしてかれてドクターカーで運んでくれた。
病院では、まだ経歴が多くはないドクターだったらしい。
血は止まらないし、足もどうしようもないほどにぐちゃぐちゃだったからどこから処置をしたらいいのかわからないくらいに大変だったらしい。
入院中、わたしの担当のドクターは数人いました。
わたしは体が大きくて見た目は少し怖そうなドクターが助けてくれたんだと思っていました。
でも違っていて、細くてひょろっとした気さくなドクターがわたしを助けてくれたことを後になって知りました。
そのドクターは命の恩人です。
一生忘れません。
そのドクターには、もっとたくさんの人を助けてあげてほしいな、と思いました。
⑧携帯電話
わたしは中学生の頃から携帯電話を持っていて、たぶん携帯依存症だと自覚するくらいでした。
学校へ登校するのに携帯電話を家に置き忘れて取りに帰って遅刻してしまうこともあるくらい。
事故のとき、わたしは携帯電話を持ったまま10階から落ちたらしい。
もちろん携帯電話は大破。
その後、わたしがまだ危篤のときに母がその大破した携帯電話を持って病院から近い携帯ショップへ持って行ってくれた。
当時の携帯はガラケーで液晶画面とボタンがわかれている携帯電話でした。
当然ながら電源さえはいらなくて、
「電源がはいりませんから他の携帯へデータを移すこともできません。」
と店員さんに言われたらしい。
母は、何度も何度もお願いしたけど無理だと言われた。
そして母は号泣して、
「娘が危篤なんです。娘が起きたとき、携帯がなかったらダメなんです!」
と言った。
すると、ショップの奥からお兄さんが出てきて、
「僕、その携帯なら我慢かわ映らなくても操作できるかもしれません。」
と言って大破した携帯電話を見てくれた。
そして、なんと新しい同じ機種の携帯にすべてのデータを移してもらうことができてわたしの携帯は完全復活をした。
母の粘り強い根性もすごいけど店員のお兄さんも凄いと思った。
⑦セールス
危篤で意識のなかったときに、わたしの体から切り離された右足は火葬場の人によって引き取り、焼かれました。
足は1Kgほどあったらしい。
火葬場の人が、足を引き取る際にセールスをした。
わたしのこと、助かる見込みがないことを知って言ったのかはわからないけど、
「今、会員になれば次の火葬の際にお安くなりますよ。」
と両親に言った。
その言葉に普段怒らない父がキレて、
「縁起でもないことを言うな、帰れ!」
と怒鳴りつけた。
火葬場のひとは、それ以上何も言わなかった。
もしかしたら、言わなければならない言葉だったのかもしれないのに怒鳴られて少し可愛そうだな。
ふと思うことは、これから先 本当にわたしが焼かれる日がきたとき、体の中に入っているボルトやステントはどうなるのだろうか。
⑥告げられた日
ある日のお昼過ぎ、いつものようにベッドでDVD鑑賞をしていると急に部屋のドアが開いた。
ドアの方を見ると、主治医からはじまり他のドクター達、看護師さん、両親までもがぞろぞろと入ってきてわたしのベッドを囲った。
あまりに入ってきた人みんなの顔が怖くて暗かったから、わたしは余命でも告げられるのかな・・・と思った。
主治医が暗い顔についている口を開けた。
「実は、最初あなたが運ばれてきたとき、危篤な状態で足まで処置ができず、足から菌がまわっていて足先は血がいっていませんでした。なので、右足のひざ下から切断しました。でも・・・」
まだ話が続いているのに父が、
「みゆ、大丈夫や。義足っていうのがあって、ほんまの足と変わらんものもあって普通に歩けるし見た目も本物そっくりなんもあるんや!いい義足、お父さんが買ったるから安心しい!」
正直ショックでした。
余命を告げられるという予想とは全く違ったけど。
でも、それを言われたときは顔色も変えずに、
「そっか、わかった。」
とだけ言った。
あまりにも父の必死さが伝わってきたから。
その後の話は覚えていない。
わたしの頭の中では、どうしてこんなになってまで生きてるんだろう。
死んでしまったほうがよかったのに。
そんなことばかり考えていた。
そして、夜一人で泣いた。
1ヶ月ほど自分の足を見るのが怖くて、移動するときは必ずひざかけをして、しかも無い足の形を見るのも嫌でひざかけ下の足のない所にクッションまで入れて形がわからないようにしてすごしていた。
きっと、まだ受け入れられないし、受け入れたくもなかったのだと思う。
最終的には看護師さんのミスで見てしまいました。
心臓があり得ないくらいに暴れていたのが記憶に残っています。
⑤伝わらない
ICU(集中治療室)にいたとき、わたしはたくさんの管や機械につながれていた。
その中で気管切開という喉を切開してチューブで肺に空気を送ったりするものがあった。
そのせいでまったく声を出すことができなかった。
それを知ったお見舞いに来てくれていた幼なじみが、大きな紙に大きな字で*あ〜ん*まで表にして書いてくれた。
でも3ヶ月間も眠ったままだったわたしの体はまったくと言っていいほどに動かなくて腕を上げることも指を指すこともできなかった。
声は気管切開のせいで出なかったけど、目や口の動きで伝えていた。
その中で、全然伝わらなくてすごくイライラした言葉が二つあった。
一つ目は*DS(ゲーム機)*
ゲーム機のDSを持ってきて欲しかったのだけど*でぃーえす*が口の動きではなかなか伝わらない。
持ってきてもらっても手は動かないのに、どうするつもりだったんだろう。
二つ目は*くうちゃん*
くうちゃんは小さい頃からずっと大切に持っているテディーベアの名前です。
部屋が個室でとても寂しくて、いつも抱いて眠っていたくうちゃんを持ってきてもらおうと思ったのです。
でも、これもなかなか伝わらなくて何十回も口を動かして伝えて、最終的に母がわかってくれて次の日にくうちゃんが部屋にやってきた。
苦労して伝えたくうちゃんが母の手から渡された。
わたしの手や腕は、まだ動かなかったので腕か脇の間に置いてもらった。
すると、くうちゃんがあり得ないほどに重たい。
いつも抱き枕みたいに抱いていたのに、それが耐えきれないくらいに重たい。
それだけわたしの体は弱っていたし、長いこと眠っていて筋力もおちていたのだろう。
結局、看護師さんに枕元に移動させてもらいました。
くうちゃんを抱けるのになったのはICUの部屋を出て4人部屋に移った頃だったかな。
④嘘
久しぶりに会った人や初めて出会ったほとんどの人に、
「足、悪いの?」
「事故?なんの事故?」
「かわいそうに、何があったの?」
「まだ若いのにかわいそう。」
とかよく言われる。
でも自分でも、どうしてこうなったのかわからないし、10階から転落したとだけ言って自殺未遂した子とか思われたくないから、ほとんどのひとにわたしは嘘をつく。
「手すりに座って遊んでいて落ちちゃった。」
「交通事故にあった。」
「生まれつきだから。」
とか。
この人にはなんて嘘を言ったかな?なんてことはよくある。
自分を守るための嘘だから許されるよね?
周りの人がよく言う
「かわいそう。」
とか何がかわいそうなの?
わたきは自分をかわいそうだなんて思ってないしラッキーな人間だと思ってる。
かわいそう、ってなんか壁がある気がしてあまり好きな言葉じゃないな。
「頑張ってね。」
と言われても主語がないし何を頑張れって言われているのかわからない。
無責任な言葉なんていらない。
そんなこと思ってさかまうのはおかしいことですか?
③1%の奇跡
たぶんわたしが地獄で働かされて時くらいの話だと思うけど、ドクターは
「助かる可能性は、ほとんどありません。危篤の状態です。会わせたい人全員呼んでください。」
と両親に言った。
最初に危篤と聞いた時、父は上の血圧が200を超えて倒れたらしい。
母は泣いて、父は泣きそうになりながら
「助かりますよね?」
と言った。
ドクターは無言で首を振った。
父は、
「5%くらいなら助かる可能性ありますよね?」
ドクターは困った顔で無言。
「じゃあ、3%くらいなら!」
それでもドクターは無言でした。
最後に父は大きな声で
「1%くらいなら助かりますよね?1%!!」
ドクターは、また困った顔をしてしょうがないから下を向いて
「1%くらいなら・・・。」
と言った。
それを聞いて父は母に向かってそらに大きな声で
「聞いたか?助かるって!!」
と言った。
母は、無理やり言わせたんやん、と思ったらしいけど一緒に助かることを祈ってくれた。
父は
「絶対、大丈夫や!」
とか
「今、動いた気がする。」
とかずっと言っていたらしい。
父は強がりで人前では絶対に泣かない。
祖父がトイレに行ったとき、そんな父が陰でこっそり泣いているのを見た。
そんなことがあって、わたしが少し元気になった時には、困った顔で
「助からない。」
と言ったドクターのあだ名は*困ったちゃん*と母が名付けました。
1%を無理やり言わせて生きているわたしはゴキブリ以上の生命力かもしれない。
しかも、10階から転落して血まみれの状態なのにわたしは、
「痛い、痛い。」
と叫んでいたらしい。
そりゃ痛いけど、そんな状態でも声でるんだね。
ドクターは、その
「痛い。」
という声を聞いて、頭は無事だと判断してその場で処置をして病院へ運んでくれたらしい。
わたしは奇跡なんて信じない人間だけど、奇跡以外のほかに言葉が見つからない。
後からどこドクターに聞いても、
「普通は助からなかった。今歩いているのが信じられない。」
とか
「僕が担当した患者の中で、この子は助けられないと思った一人だったよ。」
などと言われる。
普通ってなんだろう。
絶対ってなんだろう。
よくわからないけど両親の気持ちはいろいろな人から聞いてよくわかりました。
1%でも喜んでくれた父、素敵な父だと思いました。
②フラッシュバック
わたしは事故の日のことはほとんど覚えていない。
覚えているのは、クリスマス前ということと当時の彼氏と彼氏の友達が2人いてわたしをいれて4人で車に乗っていたこと。
親から聞いて知ったのはマンションの10階から転落したことだけで、なぜ転落したのか何も言わなかったのでわたしからも触れないようにしている。
本当に今でも思い出せないのだけれど入院期間の真ん中頃、2つ目の病院へ転院した頃からある場面が頭をよぎるようになった。
たぶんフラッシュバックというものなのかな。
夢の中でもその場面を見るようになって、今でもずっと苦しめられている。
それは、わたしが高いところから落ちそうで当時の彼氏がわたしの腕を掴んでいる状態。
わたしは彼に
「助けて。助けて。」
と言っている。
でも彼は無表情で、最後、、、
「い・や。」
そう言って手を離してわたしは落ちる。
その場面が頭をよぎってさ涙がでる。
心臓がバクバクする。
でも、もしそうなら事件になっていたはず。
それに、よくわたしの祖母が、
「みゆが自分でなった体なんやからー・・・」
と言うから、もしかしてわたしって自殺未遂?なんて思ったけど事故のときべつに病んでたわけでもないしそんな心当たりもない。
ちゃんと真実を知りたいけど、なんか怖いしやっぱり聞かないほうがいい気がするからいまだに真相はわからない。
そういえば、わたしが元気になってから少し働かせていただいていたBARへ事故のとき一緒にいた彼の友達の1人がお店に来た。
むこうは、とてもビックリしていたから偶然来たのだと思う。
その彼の友達は泥酔していて大声で
「みゆー。みゆー!なんで生きてるんー?」
と叫んだ。
すごく怖かったので目を合わさずに無視をして、わたしはお店をでた。
そしてBARを辞めた。
生きてて悪かったね。
①夢?
わたしの体が事故直後だった時の話。
事故にあってから意識が戻るまで3ヶ月ほどかかった。
クリスマス前に事故にあって目が覚めたら3月のわたしの誕生日の少し前でした。
20歳のわたしにクリスマスもお正月もありませんでした。
その3ヶ月の間、ドクター(お医者さん)もわたしの家族も大変だったと思います。
母に
「あんたは眠ってたからいいよねー。」
なんて嫌味を言われたりしましたが、その3ヵ月の間わたしも辛い経験をしました。
事故にあって意識の戻るまでの話をします。
それは、たくさんの人がいる中で孤立して働かされている夢。
その働かされているところは地獄のような所でした。
休憩することも眠ることも許されなくて食べ物も飲み物もない。
そして、体が動かなくなった時、白い着物を着た女の人が来て青色の温泉のような所に連れていかれた。
青色の温泉のような所から出ると、目の前には一本道があった。
わたしは、その一本道を歩いた。
すると、その道が二つに分かれていて、どちらか選んで進むと次々と分かれ道にぶつかって、ぐるぐる同じようなところを歩いていました。
そして完全に迷ってしまって、やっと自分がいるところが迷路の中なんだと気づいた。
どれだけ歩いても出口にたどり着けなくて、歩き疲れて座り込んでしまって初めて死ぬかもしれないと思った。
諦めてしまったときに、父の声が聞こえた。
「みゆーーーー!!」
て何度も何度も。
わたしは一生懸命に父の声がする方向へ走った。
ずっと走っていたら、道の先に黄色い光が見えた。
その光の中は飛び込むと父がいた。
わたしは病院のICU(集中治療室)のベッドの上でたくさんの機械や管につながれて寝ていた。
後から聞いた話では、意識の戻らないわたしにむかって父はずっと呼びかけていたらしい。
元気になって、迷路の話をしたら父は、
「俺の声が届いたんやな、感謝せいよ。」
と笑って言って、母が
「わたしも呼びかけてたのにわたしの声は聞こえなかったん?最低ー!」
と、ムッとした顔で言う。
もしかしたら、わたしがいた迷路は俗に言う三途の川とか御花畑のような場所だったのかもしれない。
もしそうなら、父の声が聞こえてなかったら今わたしは存在いなかったと思います。
お父さん、ありがとう。